2025年12月30日(火)

 娘を連れて朝から近所のスーパーに買い物に。長期休みはご飯のことばかり考えてしまう。昼は半田麺をにゅうめんにする。夜はスペアリブにチャレンジし、息子リクエストのポテトサラダを作ることに。

 娘がエリンギ焼いて食べたいというので、選んどいでと言ったら「いちばん美人な子選んできた」と確かに整った形のエリンギをカゴに入れた。いつも言葉の使い方が面白い。

 卵と鶏団子の入ったにゅうめんを作り、並行してレバーペースト用の鶏肝の血抜きをする。毎年、年末にたくさん作り、冷凍しておく。日々の料理はするが、季節行事は他人事のゆる夫。ムカついたので栗きんとんを依頼した。

 さつまいもを丸ごと炊飯器で炊いて、皮をむいて潰して、栗の甘露煮の汁と混ぜるだけ。甘味は足りなきゃ砂糖かはちみつで。「ナツメグ入れるんだっけ」と聴いてきた。そらクチナシや。

14時過ぎからどうしても観たい映画があったので、料理を中断してシネ・ヌーヴォまでゆる夫に送ってもらう。最近よく行く居酒屋の店長が映画好きで、勧めてくれた「ぼくらの居場所」。観客は2人しかいなかった。

 3人の、家庭に課題のある子どもたちがカナダの「教育センター」で出会う。親の家庭教育力を上げるため、親子が集い、共に過ごし、少しずつほぐれていく場所。

ほぐれないシングルファーザーのキレる過程が、リアルで怖い。さっきまで機嫌が良かったのに。どこに継母の地雷があるかわからず、怯えて暮らしていた時期を思い出す。そして校長として、区長として直接または間接的に出会った子どもたちのことも。

  キレる側の親のしんどさも、わかる。わかりたくはないけれど、わかってしまう。教育センターの担当者が上司に叱られつつ、「ほっとかれへん」想いで動くところも。

人を信じることができない、甘えられないまま大人になった親の不自由さ。全ての登場人物の視点がわかるだけに、冷静に観られない。

 帰宅するまでの道程で、思考が巡る。自分はやりきれているのか、自分の人生を楽しんでいていいのか。ここにハマると、自責からの自傷に気持ちが落ちるので、帰ってすぐ料理に取り掛かった。

 段取り、段取り、段取り。間に臨機応変。料理は頭の中から悩み事を忘れさせてくれる。

 息子にゆでたじゃがいもを潰してもらい、ポテトサラダとスペアリブ、冷凍庫をふさいでたロールキャベツと濃い夕食になった。

 レコード大賞をミセスの強火オタクである息子と観て、よかったねと言い合う。食べることが好きな娘は、スペアリブに合格点をくれた。障がいのある子どものデイサービスで勤めるゆる夫と、今日観た映画の話をする。

 自分の子ども時代には持てなかった「わたしの居場所」。子どもの頃は「持ってない」ことにすら気づかなかった。今日の映画のような場は、大阪ではすでに地域や学校内にある。つなぐ役割の人も、学校に送っている。もっと機能するよう、努めたい。

 レコ大が終わった遅くから、レバーペーストをフードプロセッサーにかけて仕上げる。残ったペーストをすくって、台所でつまみ食いする。慌てて寒菊の「39」を注ぐ。じわっと発泡する日本酒に合う。

 酔って寝てしまわないよう、夕方以降は避けているコーヒーを飲み、いくつか仕事の原稿を書く。案の定、今夜も眠れなくなった。

 あと90日。

「ベイマックスの生首ある」by 娘。