2026年1月20日(火)

 午前中を休みにして、デスクワークとその合間に女性リーダー同士のオンライン意見交換に参加した。

つないでくださった方のお陰で、具体的な行政や地方のまちづくりの課題の話を聞けた。長年の放置案件の「火中の栗」を拾って進めてるのに「可愛げがない」と理不尽な批判を喰らいやすいのも共感した。それでも志のある人は、全国にいると心強い。

 生野区の学校再編で批判された席で「進めるとここまで批判されるのに、1学年20人を切る学校になるまで問題を先送りにした『やらなかった責任』が問われないのはおかしい」と訴えた。

 元校長兼元PTA会長である地元の小学校に、合間に走る。複式学級になり、再編もすでに決まった学校だ。

 学校に芝生を植える事業がかつてあり、3年間だけ市教委からお金が出た。その後は地域移行が前提だったので、毎年12万円ほどの芝生管理費をPTA・歴代PTA会長会・役員OB会・地域の寄付で賄っている。

 歴代PTA会長会の会長なので、例年通り3万円を持参する。昨年度の創立150周年で使ってしまい、残高はあと3万ほどだ。頼まれたスプリンクラーのメンテナンス費は出せない。

 なんとか地域に出してもらえないか、考えることにする。他にも来年度以降のPTAの体制など、校長先生に相談する。3年間働いた校長室で、未だに立場を変えて学校の話をしている。

 一旦、家に戻ってお昼を食べ、出勤する。外国の若者が公聴のところにいて、区役所からの封筒を前に職員の説明を聞いていた。

 気になったので後で訪ねると、区民アンケートが届いたけれど、近くに住む友達には届いていなかったので、詐欺か何かだと思って訪ねてきたそうだ。

 自動翻訳が進んで、区役所でも案内をスマホで読み取っている外国の人の姿をよく見かけるが、ランダムで抽出して送信していることはわかりにくい。職員は簡単な絵を描いて、がんばって伝えていた。勉強になった。

 メールや決裁の処理をして、今度は市岡小学校に歩いて出かける。区長は運動会に招待されがちだが、土日に複数の運動会を30分ずつ見るより、研究授業や各校で見てほしい機会に呼んでもらえるようお願いしている。

 社会の研究をしている学校で、戦争について6年生が学ぶ授業だ。昨年が戦後80年、空襲でほぼ焼けてしまった港区の歴史を伝え、平和学習に力を入れてほしいと4月に区内の校長先生たちにはお願いしていた。

20人ほどの学級に、大人が同じかそれ以上入って見ている。やんちゃな子もいるが、私が校長の時も教育委員会の視察の時ほど「オッさん誰?」とふざける子がいたので、よくわかる。

 それでも玉音放送を聴く人々の写真を見て、敗戦を知った時の心情を想像して答える課題には、向き合っていた。

 討議会には出る時間が無いのと、民間人校長をやって教育にずっと関わっていても教員免許を持っていないので、そこは遠慮している。子どもと保護者、学校運営の経験者と港区の子どもたちにどう育ってほしいかの視点で授業を見て、いくつかフィードバックする。

 帰りがけに、前の校長先生が来ていて、子どもたちに囲まれていたの見かけた。うらやましい。

 先週から学校ばかり行っているので、進路が決まっていない中だとやはり教育に関わりたいと思ってしまう。

 帰って再び事務処理をして、夕方から港産業会の新年互礼会に出る。アートホテル、年明けから3回目だ。馴染んだ地元企業のみなさんと話す。

 今日も合間に「4月からは」「真っ白です」のやりとりが多発したが、選挙が決まったからか「(選挙に)出たら応援するで」と複数の人に言われた。それより今回の選挙そのものに腹を立てているので、可愛げなく答えておいた。

 いつもは2次会でスナックに誘われるが、明日は自分が回す区長会のこども教育部会がある。議題が10もあり、議題外もあるので帰って資料を読んで議論のポイントを参加区長に送っておきたい。

 謝って帰り、洗濯機を回し、父子が2年前の「名探偵津田」を見ながら食事をしているのを横目に、リビングにある机に向かう。

 今日もこども達が笑っていて、平和だ。

 1時間程集中し、作業を終えた。息子と約束していたので、ミセスの新曲作りのビハインド映像を見る。YouTubeで公式が流しているもので、昨年5月に朝ドラをやりながら制作していたことがわかる。

 プロが多少の計算のもとに、舞台裏をさらけ出してくれる。すべてをDTMで作ってから、その再現を生楽器でメンバーに求める大森元貴の目がいつも、アーティストとしての欲にまみれていて好きだ。

 息子とそれを眺め、あーだこーだと新曲のツボを共有して寝ようとしたら、洗濯を干してないことに気づいた。

 干してやっと布団に入る。スマートウォッチの歩数は、12,000歩を超えていた。

 あと、69日。

港区にはサントリーの最も古い工場がある。今もリキュールは大阪港で作っている。