昨日揉まれた脛の内側が痛い。肩も腰も痛むので、目は覚めていても布団でごろごろする。20分ほどぐだって、仕事なので仕方なく着替えた。
休日の挨拶だけの仕事が多い。来賓で呼ばれ、挨拶をする。業務扱いではない短い仕事と言うが、スーツを着てメイクして出て帰る2時間ほどで妙に疲れる。以前は帰りに天満で降りて、お気に入りの丸力酒蔵で昼飲みをキメていたが、最近はそんな余力もない。
特に今は、人に会うと「4月からは?」「転職がうまく行かず真っ白です」「山口さんなら引く手数多でしょう」「いえいえ」の繰り返しで削られる。露骨にニヤニヤと嬉しそうになるのは、年上の男性ばかりだ。年下の女が区長でいて、内心はムカついてたのがこぼれてますよ。
私がこの組織と2度と仕事をしないことを「残念だ」と心の底から嘆いてくれた、私の仕事を見ていてくれた人たちに愛と連帯を感じる。大丈夫、なんとかします。
大阪春節祭の会場が昨年から大阪文化館・天保山(元サントリーミュージアム)に移り、来賓であいさつを求められる。かつてIMAXシアターだったホールで、港区の発展の多文化共生への想いを即興でスピーチする。アントニオ猪木を彷彿とさせる赤いマフラーを首にかけ、テープカットもした。紅白のテープを切る仕事も、これで終わり。
すぐに家に戻り、娘と淀屋橋までゆる夫に送ってもらう。ドトールで昼食を買い、京阪の特急に乗って食べながら京都に向かう。娘の推し活への同行だ。
忍たま乱太郎の映画を生演奏付きで上映する企画を南座でやると聞き、歌舞伎研究会から毎日イヤホンガイドのバイトに行ってた我が青春の南座、当時の年齢に近い娘と一緒に行けるなんて奇跡やん、とチケットを取った。芝居絵でなく、アニメの看板が上がっており女性が写真を撮りまくっている違和感。
映画には一度付き合わされていたが、生演奏ならではの迫力に心揺さぶられる。そしてオーケストラでの「勇気100%」に拳を振り上げそうになるのを耐える。
♪ そうさ100%勇気 もうやりきるしかないさ ぼくたちが持てる輝き 永遠に忘れないでね ♪
名曲。桐丸の訴えでは我慢できた涙が、ぼろぼろ。
一龍斎貞友さんと田中真弓さんのベテラン声優の自由奔放なトークもあり、アンコール演奏もあり、娘に「オカアチャンここにあったテーブルでずっと『イヤホンガイドいかがですか〜』って言うてたんやで」と思い出に浸ることもできて満たされて劇場を出た。
八阪神社までの道をお店を覗きながら歩き、父子にお菓子を買う。引き返して鴨川を渡り、先斗町に入ってインバウンド狙いにまみれた肉と寿司のギラついた看板の隙間に、お茶屋さんや老舗の気配を確かめながら歩く。
路地に入り「し乃」に着く。娘の名前と同じこの店に、いつか連れてきたかった。学生時代のアルバイト先。当時、おばんざい屋の息子たちの家庭教師もしており、その兄の方が店に立っている。料理を担うお父さん(当時は「お兄さん」と呼んでいた)健在だ。
娘とカウンターに座り、お鉢で並ぶ卯の花や菜っぱとお揚げの炊いたんをもらう。30年前と、変わらない味。バイトが終わると、プラスチックの容器におかずを入れて渡してくれた。貧乏学生には有り難く、帰り道に友達の下宿に寄って、もらったおかずを食べながらレポートや恋の話をした。
この店には芝居が跳ねた後の歌舞伎役者が来るので、貴重な体験をたくさんさせてもらった。今は亡き中村勘三郎丈の娘道成寺にハマってしまい、南座でのバイトの合間に毎日観ては、夜はこの店のカウンターでご本人に感想を伝える推し活の極みのような月もあった。
「出目ちゃんはよく観てるねぇ、手抜けないよ」
芝居が大好きで大好きで、飲みながら尚やりたいお芝居の話を語っていた。彼が亡くなってから、劇場から遠ざかった。大好きだった。
お店の壁に貼っていたポスターに、わっと時間が戻った。今の勘九郎さん、そっくりだ。年末に顔見世で声を聴いた時も、時空がゆがんだかと思った。
そもそも何年も働いたこの店に、自分が産んだ娘が横にちんまり座り、同じ味を食べている不思議。春鹿の純米を一合飲んだせいもあり、当時の記憶がぐるぐるする。
締めににゅうめんを食べ、店を出る。まだ20時前。四条をふらふら歩き、OPAでバーゲンになってた服をねだられて買い、疲れきる。娘はタフだが、明らかに私は30年分の年を取った。記憶のバトンを渡した気がする京都行きだった。
帰って寝たいところをサイレントリードを付けてサックスの練習をし、明日の舞台が不安なまま寝た。
あと37日。

