2026年3月11日(水)

東日本大震災から15年目の朝。震災後、半年経って被災地に行ったことを思い出す。復興のための産業振興の講演で、少し離れた地域に呼ばれた。帰りに仙台空港から名取市、塩釜のあたりをタクシーで回ってもらった。

 津波に襲われて壁を失ったアパートの1室は空っぽに片づけられ、1室は住民が戻ってきた気配は無く、台所の調味料がそのままだった。砂にまみれた畳に、電話代の請求書が落ちていた。住宅街だった場所には、基礎のコンクリが「家」があった枠組みだけを示していた。一瞬で町ごと押し流す自然の力に、震えた。 

そして今、まさに津波のリスクがある港区で南海トラフ巨大地震に怯えている。できるだけ毎日、Xに「#まいにち防災」をつけて防災情報を投稿する。防災士になり、外国人観光客向けの「おもてなし防災」に取り組み、港区内の小中学校の校長先生たちに防災教育のレクチャーを行ってきた。

 地震が起きて逃げなければ、港区民約8万人中、1万人が亡くなる。早く逃げれば430人ぐらいに減る。目指すのは「ひとりも死なない防災」だ。強い言葉は、人の気持ちを振り向かせる力がある。これからも、防災には関わり続けたい。

 午前中は、市役所の会議室で9時半から12時近くまでぶっ通しの会議を回す。児童虐待、スマホ対策、部活動の地域移行、学校適正配置。どれも言い残したいことのある議題で、コメントを入れざるを得ない。こども教育部会の仕事も、あと1回やれば終わり。部会を通じて、メンバー区長と共に大阪市の施策を進めてきた自負はある。

昼休みは市役所地下のコンビニで買ったサンドイッチを食べながら、市会答弁に手直しをする。「である、だ」で書かれているのを、そのまま読むわけにいかないので「です、ます」に変える。ついでに誤解されそうな言い回しや読みにくいところを直して、備える。

 市岡商業高校跡地の事業者公募に向けた取り組みの確認と、もう1日あるが最後の市会なので「卒業答弁」と呼ばれる任期終わりの機会でもある。

質問する先生は「市岡商業高校跡地の暫定活用ではコスプレイベントを開催し、区長自らゲームや映画のキャラクターに扮して盛り上げてくれた」と言いたかったのだろうけれど、笑いながら「区長は、事もあろうに自ら変装というか変身というかコスプレをして」という言い回しで話した。

 「事もあろうに」が付くだけで、文字だけ読むと印象がかなり悪い。ほめ言葉やったはずが、なんかめっちゃアカンことしたみたいやなと焦る。区役所に戻ってからも職員が笑っていた。

 先生が最後に「山口区長は次が何も決まってないそうで」と無職を暴露したのもいかがかと思うが、「地域からも区長への感謝の声をたくさん聴いている」とねぎらってくれたのは嬉しかった。副区長も卒業答弁をして「大阪市をよろしくお願いします」と最後に付け足した。年月の重みは、私とは比べものにならない。

区役所に戻り、書類仕事に埋没し、机の雪崩を加速させて夜の会に出ていく。港産業会の青年部会こと「イノベーションポート200」のみなさんが、定例会の後の懇親会を送別会を兼ねてくれた。またも私の大好きな「SAKESTAND ROKUGOU」さんで、乾杯用に希少なスパークリング酒を入れてもらい、ご機嫌で始まる。

 いや、そうは言っても身体はどよんと重く、直前に弁天町駅下のドラッグストアで栄養ドリンクをキメてきている。

私は前任の区長ほどに、ものづくりにコミットできていなかったのでずっと申し訳なさはある。コスプレイベントも立ち上げの時から関わってくれて、15日にも市岡商業高校跡地を使ったクラシックカーのイベントを自主的に実施予定だ。

 いつもにぎやかに飲み、仕事や野球の話をし、地域活動とは別の「地元の仲間」がいるのっていいなと思わせてくれる。なぜか私の周辺では「かすうどん」の話だけで盛り上がっていた。

 最後に私の大好きな「寒菊 99」の春酒を別料金で開けてくれて、有難く飲んだ。でももう限界。プレゼントでお酒を何本ももらい、絶対に途中で落として割りそうだったのでタクシーで帰った。

 こどもたちと「ばけばけ」を見て錦織さんを案じ、でももう無理寝ると言った先にHANAの「Burning Flower」のMVをメンバーが見るリアクション動画を見始めてしまい、数秒ごとにMVを止めてキャーキャー言ってるうるさいカワイイ女の子達を眺めていたら、少し元気になった。お互いを褒め合う言葉がぽんぽん出てきて、なんて素敵なお手本なんだろう。

 胃薬を飲んで、寝た。今日も片づけは無理。明日の午前を休みにしている。起きたらやる。絶対にやる。

あと21日。

震災半年後の名取市で撮影。