息子も卒業式に参列するので、少しゆっくりしている。朝からヘッドホンつけて学ランでピアノ弾いてるの、カッコええなと親バカなことを思う。
私も卒業式、コサージュを付けて家を出る。本当なら息子の中学にPTA役員として受付に立たないといけないが、区長として最後の卒業式に出る。
大阪港駅を降りて、赤い港大橋を眺めながら築港中学校に着く。令和9年4月には、閉校になる。男子15人、女子9人の卒業生だ。そして、再編を決めた当事者であり、小規模校の元校長の私は、西村校長先生の式辞に泣いてしまった。
「築港中学校は閉校になるけれど、無くならない。学校は、建物だけではない。この学校で学んだ経験そのものが、築港中学校だ。いつかこうした場で、みなさんのうちの誰かがスピーチをする時に『築港中学校出身です』と言ってくれたら、嬉しい。築港中は、みなさんの中に在り続けます」
学校に関わる全ての人を励ます言葉に打たれ、申し訳なさも混ざって泣いた。
その後、PTA会長が公開親子ゲンカのような「朝は自分で起きろ」「弁当に同じおかずが続いても文句言うな」と愛のある祝辞で場を和ませ、普通は3年生だけで歌う式歌「3月9日」を全校生徒で歌い、アットホームかつ感動的な式だった。
帰ると、「仕事の話では無いんですけど」と区長室に教育担当課長がやってきて自分が参列した市岡中学校の式の素晴らしさを、合唱部経験者の立場で絶賛しにきた。
うるんだ目で熱弁する姿に、「それは校長先生にも教えてあげて」と区役所職員で教員経験者でも無いのに、こども達のがんばりに心動かされる人と一緒に仕事できてよかった。
「その感動を、わざわざ言いに来てくれる課長が好きやで」と、本人にも伝えた。
15時まではデスクワーク、大事な研修を忘れていたのでeーラーニングでやる。あとはギリギリまで調整仕事が詰まる。最後の市会答弁、学校適正配置について言い残したいことを7分も時間をもらったので、手直しをしてから総務課長と市役所へ向かった。
教育こども委員会で、最後の質疑に当たっている。本来なら「卒業答弁」として集大成のような質疑をするところを、学校再編の必要性、しんどさ、進んでいない区の課題解決への支援をお願いした。思いのたけを書き、そのまま詳細を直さずに本番に来てしまったので、あちこち直して出番を待つ。市会に立つのもこれで最後。
若手教員が一人で1学年を丸ごと持つことを避けるためにも、複数学級で他のクラスの担任と連携し育成したい。学校で最も大事なのは「授業力」と自分で言って、既視感を覚えた。
塾講師のバイトから正社員になる時、研修を受けた。22歳だった。最終日に小論文を書いた。全員の分が冊子になって配られたので、今も家のどこかにある。
私たちの商品はこどもに力をつける「授業力」だ、雑務やクレーム対応に追われていては質の高い授業ができない、人員体制を何とかすべきだと、当時もほぼ同じことを書いていた。
結局、私は同じところをぐるぐるしていただけだ。労働人口の減少が、今回の質疑の焦点だった。さらに人材の確保が難しくなる。
質疑のあと局の方に声をかけていただき、今後の子育て施策や教育格差の話を少しする。保育士も同じ状況で、キリがない。こどもは減っているのに、新たな課題が次々やってくる。
達成感よりモヤモヤを抱え、夜の会に行く。本町に寄り、二日酔い防止の薬を手に入れ、阿波座まで歩いた。
港区の医師会・歯科医師会・薬剤師会の「三師会」の懇親会に招いていただいた。日本酒好きに以前から聞いていた「菜々竈(ななかまど)」で会長やお店の推し酒をたくさん飲み、美味しい料理に合わせ、医療介護や港区のまちづくりの話、合間に日本酒オタクな会話を交わして楽しかった。
それでも、さすがに連日の日本酒で、限界に来た。明日のいくのパークの「万国夜市」はやめておこう。タクシーでぐったり帰り、「オカアチャンしんどい」とコタツに入る。
酔ったまま息子に話しかける。
「卒業式、3年生どんな歌を歌ってた?」
「『友、旅立ちの時』って、なんかフランス料理の名前みたいな感じの曲」
「フランス料理ってどういうこと?」
「ほら、ステーキのなんちゃら風、とか波線入れて言うやん」
「友~旅立ちの時~」だった。酔いで笑いのハードルが下がっていて、娘も混じってゲラゲラ笑う。ゆずの名曲も、もうフランス料理にしか見えない。
その後は「ばけばけ」を見て、涙腺も弱ってたところに錦織さんの愛の深さをぶつけられ、途中から涙が止まらなかった。感情が忙しい。そのまま飛ばし飛ばし日本アカデミー賞を見て、吉沢亮に拍手を送って寝た。
あと19日。

