2026年3月31日(火)

 本当に、終わりって来るんだなぁ。港区長になった時は「ここから4年も土日祝無し夜も潰れて気が休まる日ナシが続くのか」と気が重くなった。

 最後の1年も「これから万博?区制100周年?しんどそう」と内心思っていた。早く終わってほしい。楽になりたい。

 100日日記を始めた時も「まだ3ヶ月以上もある」と思ってた。区長室の片づけも「そろそろヤバい」「何度目ですか、前から言ってますけどもう本気でヤバいですよ」と部下に言われるほど、気づいたらラストの日を迎えていた。

 港区長になった日に着た、白のスーツを着る。多分、あの人もそうだろうと思ったらやはり全身真っ白の筋原区長が中之島公会堂にいた。

 大阪市の退職発令式。ある役職以上は、中之島公会堂で辞令を受ける。所属長なので、市長の手からもらうことになる。

 筋原区長と2人だけ白スーツで並んでいたら、3人の副市長も苦笑していた。公募制度が始まった時、当時の市長に区長は目立つべき、と言われて白スーツとタスキがけを始めた筋原区長はめちゃくちゃ正しい。そして、最後まで正しかった。

 市長から辞令を受け取る前に「生野区長 筋原章博」のタスキを掛け、辞令を受け取った壇上でタスキを外した。

 山口百恵が引退コンサートで、マイクを置いたように。区長の看板を下ろす瞬間を、泣き笑いで見守る。感動と同じぐらい、困惑している横山市長が面白過ぎた。

 長年の大阪市への奉職、本当にお疲れ様でした。

 私は最後の公用車に乗せてもらい、H主任と思い出話をして、また会う約束をして区役所に入る。最後の最後に「退勤」でピッとやってしまい、担当に謝る。

 部屋にはまだ、書類の山がいくつかある。秘書担当にして過去には共に防災を一緒にやったI係長が、「区長がいつも言う『助けてを言うのも生きる力』、自分でその言葉を実践せなあきませんよ!」と声をかけてくれる。

 うん、ありがとう。でもゴールは見えてるし何とかなりそう。

 そこから100人ぐらいにBCCで退職の挨拶メールを送り、退職者への辞令交付式をする。副区長は42年、他の人も私とは比べ物にならない感慨があると思う。

 その年月へのリスペクトと健康であってほしいという願いを込めて、区長として退職を祝う挨拶をした。

 その後にようやく片づけを始め、1時間ほどで不安になってきた。

「助けて……」

「その声を待ってました!もう2時間早く言うて欲しかったですが」

I係長とT課長が、区長室の書類をがっさり箱詰めしてくれる。きっと私なら思い出にふけったり、連絡事項を思い出したりしてやりきれなかった。

 最後に残していたのは、町会加入促進アクションプランの会議を回していた時の資料、学校再編、跡地活用の資料だったから。

 町会加入促進は、もっとカジュアルなサブスクのような町会をイメージして取り組んだものの、まぁ行政が作るアクションプランの限界を思い知った案件で、心残りで資料が捨てられなかった。

 プロセスで関わってくれたオブザーバーのみなさんは最高で、多方面から「町会」の新しい形を提示してくれた。メンバーだけで聴いてるのが惜しいプロジェクト会議だった。

 こうやって思い出すだけで時間が止まる。片づけ、任せてよかった。

 ひと通りやってもらい、私も懸命に整理し、合間にお礼メールのお礼メールが来て返信し、駆け込んできた決裁もやり、あっという間に終業のチャイムがなる。

 終わった。

 私の大阪市での13年間と、港区での4年間が。

 有志が集まるお祝いの場で、I係長が花束を渡してくれて、もうアカンかった。さらに、一緒に退職をする方や副区長の挨拶を聴いて涙が止まらない。

 よく泣いた100日だったけれど、本当に明日から私はここに来ないし、チームと仕事ができないのだと思う気持ちと、ほっとした気持ちが入り乱れ、自分の番では言葉にならなかった。

 中でも4年間、総務課にいて区長室に彼がぬっと入ってくると大体が不適切事務や人事トラブルだったせいで、私が「今日はナニ!?」とビビっていた課長代理が少し赤い目をしてるのを見た時に、泣けて仕方ない。

 嫌な仕事を覚悟を決めて引き受ける、彼のようなタフな職員にたくさん守ってもらった。人事を扱うポジションは、調整に苦労するし報われることも少ない。区役所と人事室、区役所の部署間の板挟みで、最適化をめざしてもままならないこともある。

 最後の最後まで、いろいろあったなぁと無事に任期を終えさせてくれたチームに感謝の気持ちが湧いてくる。

 「民間から行政に来て、セーフティネットを支える『区役所の当たり前』に驚いた。そして明日からもまた、メンバーが変わっても住民票は出て、生活の相談ができて、地震があれば対応する、カッコいい行政職員のみなさんを尊敬します。民間に戻っても伝え続けます」

 そんなことをぼろぼろに泣きながら言って、拍手で送ってもらった。

 区長室に戻りながら、「泣きますやん」と副区長がつぶやいた。最後の2年、楽しかったねとありがとねを言って、別れた。

ゆる夫には21時に迎えに来てと言ってたけれど、思ったより早く帰れそうだ。早めに呼び出し、来るまでに雑巾であちこちを拭く。これで新しい区長に引き渡せる。

 合間にいろんな方に声をかけてもらい、特に教育担当で共に修羅場をくぐったM課長の長々した話を最後に聴きたくて立ち寄り、まだまだ名残は尽きないけれど荷物をゆる夫に運び出してもらい、区長室の扉を閉めた。

 エレベーター前まで何人かが送ってくれる。職員証も返し、私が区長としてこのフロアに戻ってくることはない。

さびしい。

 ……ここで終わればいい締めくくりなんだろうけど、現実は残念な出来事が続く。区役所を出た後、荷物を運び込んだ弁天町のスナックビルで鍵が抜けず、しばらく奮闘した後にカギの業者を呼んで交換してもらった。

 業者が来るまで、これから内装工事に入るので荒れて殺伐とした、段ボールだらけの部屋でぼんやり待つ。区長だったのが夢のように思える。そして最後までなんてドンくさいんだろう。

 そういや、調子のいい不動産屋の兄ちゃんが「合鍵がイマイチなんですよねー」と2本の鍵を渡してきた。うっかり、合鍵の方を突っ込んだ私がバカだ。ちゃう、そもそも抜けない鍵を渡すなや。

しかし、東京の会社に電話したのに鮮やかに15分で現れて、鍵を丸ごと交換して「合鍵作るより鍵の番号で発注した方が確実っすよ」と言って帰った若者に、日本の未来を感じる。手に職だいじ。

 13年ぶりに戻るライターもコンサルも、AIにボコられてこれからどうやって食べていくか不安しかない。

 カギ騒動を終え、帰りにスーパーに寄って酒のアテを買い込む。

 ゆる夫が「13年間お疲れ様」と何かを用意してくれているわけもなく。晩御飯は何かと聞いたら「ギョーザとチャーハン」と返ってきた。平常運転。

 「きっと用意してますよ」というO課長代理の楽観的な予想虚しく、私は13年間、大阪市民と子どもたちに尽くし、家族を経済的に支えた最後の日に、自分で自分の宴を用意する。

 30%引きになっていたパック寿司と砂肝の塩ダレ炒めを買い、テーブルに並べる。思いっきり大事にしてくれた職場からの落差よ。

送別でいただいた日本酒がたくさんある中で、自分で買った最愛の推し酒「寒菊 電照菊RED」を開けた。これが寝かし過ぎたせいか、いつもより酸っぱく感じる。疲れのせいかもしれない。

 ああ、終わった。

100日日記も、これで終わり。

 息子にリクエストをして、テレビでミセスが歌った「春愁」を流してもらう。

♪ 「早いものね」と心が囁いた 言われてみれば「うん、早かった」 ♪

 18歳当時の天才が書いた歌詞に泣かされる。

♪ 大嫌いだ 人が大嫌いだ 友達も大嫌いだ 本当は大好きだ ♪

あと1日、つまり最後の日。

 大嫌いだけど、大好きだった大阪市に、さようなら。

 目覚ましをかけずに、寝た。

「どうもー元生野区長で港区長です〜」「元港区長で生野区長です〜」「ややこしわ!」